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浅利町ヨシヒコの江津まち歩きツアー 浅利町(令和5年8月31日)
「まち歩きマップ」作成までの取り組みを紹介します。
ヨシヒコの江津まち歩きツアー 浅利町
最近、現場に行く途中で、目の前の横断歩道を渡り終わるご高齢の男性が突然歩けなくなりしゃがみこんでしまったので、声を掛けにいきました。
私は突然のこと過ぎて、その方に声を掛けることしかできませんでしたが、一緒に声を掛けてくれた営業マン風の男性の方が、率先して自分の水筒を出したり、近くの自販機に水を買いに行ったりと、機転の利いた対応をされて、とても関心してしまいました。営業車には浜田にある虹がつく会社名が入ってましたが、最後は名前を名乗らずに風のように立ち去られました。私もああいった大人になりたいです。
本日は、最高気温が33度まで上がるそうですが、浅利町を歩きます。熱中症にならないように気をつけます。
目指せ、1万歩のまち歩き!
スタート
スタートは浅利地区コミュニティ交流センターから始まります。
まずは西の方へ向かいたいと思います。
国道9号まで
浅利地域コミュニティ交流センターから南側に曲がり市道浅利旭ヶ丘団地幹線を歩きます。
市営浅利曙団地
目の前に市営浅利曙団地があります。浅利曙団地は昭和50年代後半から60年代にかけて建設された3階建ての市営住宅です。5棟あります。
映画『砂時計』ではロケ地にもなりました。聖地巡礼をお考えのひとは、ぜひ、この辺りから一望してください。
池の切橋
市道浅利旭ヶ丘団地幹線を右折して市道浅利町団地線を通り、市道浅利松川線を東川(あずまがわ)沿いに進むと、池の切橋があります。構造物が好きなので橋には興味があります。この橋は川の幅が狭いので桁橋ですが、道路の幅員が広く歩くには気持ちが良いです。
恵比須神社
市道浅利松川線を海の方に進むと恵比須神社がありました。恵比須神社は明治41年に寄江(よりえ)神社に合祀されているようです。恵比須神社の社は地区内に2つあり、この恵比須神社は下社(しもしゃ)とよばれているそうです。
吾妻橋側道橋
市道浅利松川線を国道9号まで行くと、橋が2つあります。1つは車道用の『吾妻橋』で、もう1つが歩道専用の『吾妻橋側道橋』です。江の川では上下2段橋はありますが、平面の2段橋もまた趣があります。ここから国道9号を西へ向かいます。
国道9号を西へ
皇太子山陰行啓の御休憩所
国道9号を西へ行くと、明治40年に皇太子(大正天皇)の山陰行啓(ぎょうけい)の時に使われた御休憩所(おやすみどころ)があります。ここで少し休憩をされた後に江津村へと出発されたそうです。
浅利寺
国道9号を西へ行くと浅利寺の入口があります。
浅利寺の敷地内には井戸平左衛門碑や石見西国第11番札所の碑などがあります。
西方寺
少し西へ行くと西方寺があります。ここには昭和20年代に作られた梵鐘(ぼんしょう)と鐘楼(しょうろう)があります。
また、この寺の横には『猫坂』とよばれる道があり、中世の道だと考えられています。
旧浅利保育所
ここには市立の浅利保育所が昭和29年から昭和46年までありました。現在はこの奥に集会所があります。
寄江神社
国道9号を西へ向かうと、寄江(よりえ)神社があります。この神社は参道と神社が国道9号で分断されている変わった様式です。
鳥居の形式は白御影の明神鳥居です。
寄江神社の狛犬は大正12年のもので型式は浪速型団扇尾(なにわがたうちわお)です。2匹ともキバがあります。市内全部の狛犬には心の中で名前をつけています。みなさんも自分なりの名前をつけてみてはどうでしょうか?
寄江神社より西方面です。この先も浅利町の範囲ですが、ここから引き返して東へ向かいます。
国道9号を東へ
浅利公園
寄江神社から引き返して、国道9号を東へ戻ると浅利公園があります。浅利公園は旧浅利小学校跡地で現在は街区公園です。
国道と市道の分かれ道
国道9号と市道浅利中央線の分かれ道にきました。左に行ったら浅利駅に行きます。右に行ったら浅利の住宅街に行きます。
鉄道ができてから、昭和にかけて、この2つの道沿いを通じて浅利の町が発展してきました。どちらに行こうかな?
戦没者忠魂碑
市道浅利中央線を進むと、途中に戦没者の忠魂碑と高仙造林功労者頌徳碑、嶋田俊雄顕彰碑があります。それぞれ、浅利町のために尽力された方の石碑です。
江津市役所浅利支所(連絡所)跡地
浅利消防センターの倉庫前にきました。この場所は昭和29年から平成11年まで、江津市役所浅利支所(連絡所)がありました。
浅利駅の機関車給水塔
市道浅利中央線を東に進みJR浅利駅前まできました。
浅利駅の手前左側の小山の上には機関車給水塔の跡があります。浅利駅から江津駅方面の西へ鉄道の線路が無く、浅利駅が鉄道の終点だったころ、蒸気機関車に水を供給する施設として作られました。
東浅利里道踏切
JR浅利駅から国道9号を東へ進み、市道浅利黒松線を海の方に行くと、踏切があります。この踏切の名前は『東浅利里道踏切』です。
ここを越えて線路沿いを西側へ行こうと思います。
木村窯業所第二工場跡地
東浅利里道踏切から市道浅利駅裏1号線を西に進むと、工場と工場の間に出ます。この工場の間の奥に、木村窯業所第二工場がありました。昭和23年頃から35年まで稼働していましたが、現在は何もありません。その工場跡地の西側隣接地には市立の浅利火葬場がありました。ここは昭和20年代に開設し、昭和48年頃廃止されています。
県道浅利渡津線
市道駅裏1号線を戻り国道9号を東に進むと、県道浅利渡津線が右側にあります。とりあえず、この付近の商業施設で水分を購入して小休憩します。今日は本当に暑いです。
この間、車で道を走っていたら、トンネル内で事故をしたばかりの横転した車に遭遇したので、救助をしました。救助をするといっても、横転した車からは屈強な方が自力で脱出したため、警察へ一報の電話をしました。どこで何があるかわかりませんので、みなさんも気をつけてください。
菰沢公園経由で帰路へ
藪交差点
県道浅利渡津線を南側へ進むと、市道浅利中央線と県道大田井田江津線のある交差点に着きました。
最近、この辺りの雑草地で埋蔵文化財の試掘調査をしていた調査員がマダニに嚙まれました。その調査員は2週間経過しても身体に何事もありませんでしたが、みなさんは気をつけてください。
菰沢公園
菰沢公園は江津市を代表する総合公園です。
県道浅利渡津線を進み菰沢公園内に入り、菰沢池の見えるところまで来ました。
菰沢池はその大きさと壮大さから、数々の伝説や伝承が残されています。
菰沢公園の遊具があるところへやってきました。菰沢公園が供用開始された当時はここに大型の総合遊具があり、2本大小のローラースライダーがありました。今は老朽化により撤去された後、少し大きめの総合遊具が設置されています。
毎日15時に水が出る噴水とバスケットコートとスケートボード場の間を抜けて、地元の人たちが行き交う園路から園外に出ます。ここから、ゴールまではすぐそこです。
園路はこんな感じになっています。木陰がたくさんあるので涼しいです。
市道浅利菰沢池線から里道
園路から市道浅利菰沢池線に抜け、ゴール付近に出ました。右は市道ですが、まっすぐの方向に舗装された里道がありましたので、そこを通ってゴールまでショートカットします。
ゴール
ゴール!
浅利地域コミュニティ交流センターに到着しました。
浅利町は、鉄道と往還道などで発展していった町だということがわかりました。
今回は7,500歩を歩きました。この前母親から、「まち歩きツアーで10,000歩いったことがあるんか?」とメッセージが来ました。
今まで内緒にしてたけど、ギリギリ10,000歩行かないように調整しています。10,000歩いく時は最終回です(涙)。
目指せ!10,000歩のまち歩き!
浅利町まち歩きマップ(約7,500歩)