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ヨシヒコの江津まち歩きツアー 都野津町(令和5年12月7日)

掲載日:2023年12月7日更新
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「まち歩きマップ」作成までの取り組みを紹介します。

ヨシヒコの江津まち歩きツアー 都野津町

江津市都野津町は、網目のように張り巡らされた市道や赤道で形成された町です。

住宅地から海に向かって伸びる道と、その道と交差する小さな町と町を結ぶ道。宅地と宅地の間には小さい道がたくさんあり、そのどれもがきれいな小道です。

今回は、その小道をたくさん見ながら歩きます。

目指せ、1万歩のまち歩き!

スタート

スタートは都野津地域コミュニティ交流センターです。

都野津町コミセン外観

 

都野津コミセン看板

都野津地域コミュニティ交流センターの前の市道都野津西団地3号線を北東方面に進みます。

ます柿本神社を目指す

まずは、東方面に進み柿本神社を目指します。

市道都野津95号線

市道都野津96号線

市道都野津西団地3号線から市道都野津95号線に入り東に進みます。

市道旧県道線

市道旧県道線

市道都野津95号線から左折して市道旧県道線に入ります。

市道都野津97号線

市道都野津97号線

市道旧県道線の最初の交差点を右折し、市道都野津97号線を東に進みます。

市道都野津神村線を越えた市道都野津97号線

交通量の多い市道都野津神村線を横切り、市道都野津97号線を直進します。

市道都野津83号線

市道都野津83号線

 

市道都野津83号線終点付近

市道都野津97号線から市道都野津83号線に入り、東に進みます。目指せ柿本神社!

市道寺の曽根線

市道寺の曾根線

市道都野津83号線の先の丁字路を左折し、市道寺の曽根(てらのそね)線に入ります。

市道寺の曾根線

 

市道寺の曽根線の終盤

この先に神社があるところまで市道寺の曽根線を直進します。

柿本神社

柿本神社

市道寺の曽根線の突き当りに柿本神社があります。

柿本神社は明治時代の末に近くに住んでいた井上氏が小祠を拡張し、さらに昭和9年に境内を拡張し、現在の形のようにしました。人麻呂という名前は「火止まる」や「人泊まる」「人産まる」などの語呂から様々な神様として信仰されているようです。

また、以前にはこの神社の境内には人麻呂の松という島根県指定文化財の松が立っていました。現在はありません。

江戸時代に作られた石見八重葎(いわみやえむぐら)という書物の中の人麻呂の項目で、柿本人麻呂の妻の依羅娘子(よさみのおとめ)の父の井上道益という名前が掲載されているそうですが、柿本人麻呂は万葉集にしか文献がなく、その万葉集の柿本人麻呂の歌には「井上」という名前は出てこないため、この神社は江戸時代に流行した伝承や俗説に基づく柿本人麻呂信仰によるものと考えられます。

ただし、万葉集の柿本人麻呂の歌の中の「石見の海 つぬの浦廻〜」の「つぬのうら」は、その歌から200年後の平安時代に作られた「和名類聚抄(わみょうるいしょうじょう)」の中に出てくる地名の「都農郷(つのごう)」の可能性が高い、と多くの研究者の意見があるため、都農郷の一部である現在の都野津町は、柿本人麻呂が歌った舞台だったのかもしれません。

展望台を目指す

まだ東に進み遠見山の展望台を目指します。

市道山の内線

市道山の内線

柿本神社の前の市道山の内線を大歳神社の方へ向かって進みます。

市道和木都野津線

大歳神社と西方寺の前

市道山の内線から市道和木都野津線に入ると、大歳神社と西方寺があります。

芋代官碑と矢立ての松

芋代官碑と矢立ての松

大歳神社の前には芋代官碑と矢立ての松の跡があります。

矢立ての松では、松の根本に的を立置き、戦勝を占う行事を行っていたそうです。弘安の役のとき石見十八砦の一つ、大年免の砦を築いた城主が始め、明治維新まで神職によって継承されていたようです。江戸時代は豊作の占い、魔除け占いとして行われていましたが、昭和五十一年松食虫の被害によって枯れました。

市道都野津羽代線

井上迫

市道和木都野津線の坂道を上ると、途中で市道都野津羽代線と交差するので、そこを左折します。

一説によると、柿本人麻呂の妻の父の井上道益は後年『井上迫』という場所に住んだとされています。この辺りに似たような地名があるので、もしかしたらここら辺かもしれません。ただし、万葉集には出てこないため、こちらも江戸時代に盛んだった人麻呂信仰による伝承です。

市道都野津敬川中央線

市道都野津敬川中央線

市道都野津羽代線から右折して

市道都野津敬川中央線中盤

市道都野津敬川中央線に入ります。

戦没者慰霊碑と札所

市道都野津敬川中央線の途中に戦没者慰霊碑と、その横には新四国八十八ヶ所の札所の1つがあります。

遊歩道入り口

遊歩道入り口

市道都野津敬川中央線をさらに先に進むと、国道9号との丁字路の交差点付近に新四国八十八ヶ所を回るための遊歩道の入り口があります。

遊歩道を歩いてみます。

遊歩道上り

遊歩道上り

遊歩道を上ります。この先に展望台があります。結構歩きますが、遊歩道は言うほど、大変ではありません。

​展望台

展望台

展望台へ到着しました。展望台からは日本海が見えます。もしかしたら、この海岸線が柿本人麻呂が万葉集で歌った「角の浦」なのかもしれません。

説教場へ

都野津のまちの中に説教場と呼ばれている場所があります。説教される場所には個人的には行きたくないですが、行ってみましょう!

遊歩道下り

遊歩道の下り

展望台から逆戻りし、遊歩道を下ります。下りの遊歩道も言うほど、大変ではないです。

国道9号

国道9号と都野津敬川中央線の取り付け

遊歩道を下りると、国道9号と市道都野津敬川中央線の丁字路の交差点付近に戻りました。

国道9号を西へ

国道9号を西に進みます。

市道人丸海岸線

市道人丸海岸線

国道9号から左折して市道人丸海岸線を都野津のまちなかに戻ります。市道の名前が『人丸海岸線』とは、かっこいい道の名前です。

旧都野津町役場

旧都野津町役場

市道人丸海岸線を右折して市道都野津敬川中央線を西側に行くと、旧都野津町役場があります。旧都野津町役場は国の登録有形文化財です。現在は『佐々木凖三郎記念館』という名前になっています。

市道都野津敬川中央線を西へ

ソウルフード

市道都野津敬川中央線を西へ進みます。

都野津の交差点

説教場まであと少し。

説教場

説教場

説教場に到着しました。

説教場とは、一般的に「説教師が教えを人々に説き聞かすために設けられた場所」だそうです。怒られるための場所でなくてよかったです。昔は子どもの頃に「よくここで遊んでいたよ」と周りの年配のひとがいっていました。

ゴールを目指す

結構歩いたので、ここからゴールを目指します。

藤代酒店(登録有形文化財)

藤代酒店

日も沈んできているので、早くゴールに進みたいですが、登録有形文化財の藤代酒店があります。この建物の壁面の鏝絵(こてえ)は、かわいいのでぜひ見てください。

まだ西へ

まだ西へ進みます

この辺の道は、下水道工事が終わったばかりで、舗装が新しくなっています。道路マニアの私としては舗装したての道を歩きたいので、ゴールは南側にありますが、市道敬川中央線をまだ西へ進みます。

道の途中の黒いグレーチング(格子状の蓋)がありましたが、初めて見る形だったので、さらにテンションが上がります。

県道皆井田江津線

県道皆井田江津線

市道都野津敬川中央線から左折して県道皆井田江津線を南に進みます。

県道皆井田江津線の飛鳥前交差点

県道皆井田江津線と市道和木敬川線の交差点まで来ました。

市道和木敬川線

市道和木敬川線

県道皆井田江津線を左折して、市道和木敬川線に入ります。ゴールはもうすぐです。

都野津西団地18号線

目の前にある市道都野津西団地18号線を左折するとゴールが見えます。

ゴール

ゴール

ゴール!

無事に都野津のまちを歩くことができました。

市道の名前が多すぎてよくわからなくなってしまいました。今回の歩数は約6,000歩でした。

目指せ!10,000歩のまち歩き!​

 

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