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遺跡発掘「岩瀧寺跡」調査情報5(平成30年12月1日)

掲載日:2018年12月1日更新
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遺跡「岩瀧寺跡」発掘調査情報5(H30.12.1)

調査現場の近くではダム工事の掘削をしているようで、ドドドドと音が響いています。

今回は平場のA区ではなく、山の上にあるB区とC区を調査しています。

H30.12.1岩滝寺

C区の権現堂のはじまりは江戸時代後期以降か

お寺も滝も見下ろす場所

お寺よりも北側の山を登ったところに、権現堂の跡地があります。

権現堂跡看板

神様を祀る権現堂からは、岩瀧寺の滝と岩瀧寺跡をそれぞれ見下ろすことができます。

3つの年代の層と2つの年代の石

権現堂跡地からは、地山由来の風成層に盛土された2種類の整地層がみつかりました。

権現堂跡地

置かれている礎石は、2つの時期に分かれると考えられ、自然な形の石と人工的に加工された石があります。

人工的に加工された石は、自然な形の石よりも後の時期に設置されたと思います。

C区の礎石

一番下の層にある自然な形の石の下には、瓦のかけらが見えるため、赤瓦片を置いた後に石を置いていると考えられます。

このことから、C区の権現堂のはじまりは赤瓦の生産が始まった江戸時代後期よりも後だと思われます。

何かを燃やした跡

また、権現堂の礎石の周りを掘ると、何か燃やした跡もでてきました。

儀式の跡

何かの儀式の跡ではないかと考えています。

謎の石組の調査(B区)

石組の全容が出ました

前回、一部しか出ていなかった謎の石組の全部が出てきました。

全体的に五角形の形をしていて、何やら意味深な形です。

B区の石組の全容

悩みごとを隠すのが案外下手な調査員も、「もしかしたら、これは山陰初の発見になるかも」とドヤ顔です。

この周辺でも何かを燃やした跡が出ているので、C区の権現堂の前身の可能性も考えられます。

この石組と一緒に「かわらけ」という素焼きの土器の破片も採掘されています。

採掘されたかわらけ

この「かわらけ」とは、薄い皿状の土器のことを言います。

B区の全体では

その他のB区からは、道と思われる場所が1か所あるだけで、特に何もみつかりませんでした。

B区の道の跡

調査員メモ

調査員メモ図

調査員はB区から出てきた五角形の石組を記録保存して、さらにその下を掘り進めてようと考えています。

また、A区も同じように掘り下げて調査します。

これまでの調査内容

遺跡発掘「岩瀧寺跡」調査情報1(平成30年7月1日)

遺跡発掘「岩瀧寺跡」調査情報2(平成30年8月1日)

遺跡発掘「岩瀧寺跡」調査情報3(平成30年10月1日)

遺跡発掘「岩滝寺跡」調査情報4(平成30年11月1日)