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遺跡発掘「岩瀧寺跡」調査情報3(平成30年10月1日)
遺跡「岩瀧寺跡」発掘調査情報3(H30.10.1)
発掘調査が始まってから3ヵ月以上が経ちました。
暑かった気温もおさまりつつあります。
文政2年の層
遺跡全体の土を取り除いていくと、文政2年(1819年)建立の岩瀧寺本堂の基壇構築時の古い整地面がはっきりと見えてきました。
その下には、文政2年以前の整地の遺構面が見えています。
交りあう年代の層
文政2年の層(禅堂跡地)
文政2年の整地層直上から比較的大きな石の石組みが見えています。石組みの敷設されている形から、建物が建っていたと思われます。
以前の土地の所有者に確認したところ、この場所には禅堂があったとされていることがわかりました。
文政2年以前の層
禅堂の横の土地を文政2年の層よりさらに深く掘り下げたところ、比較的小さな石の石組みが現れました。
この石組みの端がきれいな直線となっていることから、境界を表す役割や建物の基礎のような役割となっていたのかもしれません。
この層は、これからさらに広げて調査します。
権現堂への参道の正体
権現堂への古い参道と思われていた石組みが文政2年整地層上に構築されていることがわかりました。聞き取り調査から、ここは、お客さん(賓客)をもてなすための客間から眺めるための庭園だったことがわかりました。
また、その石組みは階段状になっていることから、権現堂への参道も兼ねていたとみられます。
池があらわれた
別の庭園からは、池の跡が見つかりました。北側法面にはすでに灯篭や庭園の跡がみつかっていますが、池はその下で見つかりました。素掘りの池で比較的簡素なものです。
謎のカメ(甕)
文政2年の庫裏(くり)の茶室跡の基礎に隣接して甕(かめ)が埋められていました。甕(かめ)の周りに石が規則正しく並んでいることから、意図的に埋められたものだと思われます。
甕の中身はこれから、調査します。
謎のツボ
庭園よりも入口付近に昔の湯殿(ゆどの)と便所の跡がでてきました。
ここは居宅があったということなので、湯殿はと便所は家庭用の風呂・トイレということになります。
湯殿の石組みの外側に白い蓋つきのツボが埋められていました。
近代のこのあたりや岩瀧寺の宗派では、このようにツボを埋める風習はないそうです。
ツボの中に残っているものは何もありませんでした。
調査員メモ
今後は文政2年以前の遺構を詳しく調査する作業にかかります。