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江津市の歴史・沿革

掲載日:2021年5月6日更新
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江津市の歴史

中国地方最大の川、江の川とともに開けたまち、江津。「江津(川の港)」の名のとおり、江の川河口の港として発展しました。

約1300年前には、万葉の歌人、柿本人麻呂が妻・依羅娘子(よさみのおとめ)とともに過ごしたとされ、2人の別離を詠んだ「石見相聞歌」は現代でも多くの人たちに愛されています。

江戸時代、現在の市域は大森代官所(天領)、浜田藩、津和野藩の3つ領地に分かれていました。天領と浜田藩領は江の川が境でしたが、交通の要衝・江津本町は天領に組み込まれ、北前船の寄港地として栄えました。江津本町には江戸時代に建築された商家の家屋なども多く残り、往時の面影を今にとどめています。

幕末には1866年の第二次長州戦争で浜田藩が敗退、大森代官も逃走したことから、明治維新を前に長州藩の統治下に置かれました。長州藩の軍は江津本町に陣を置き、兵学者として名高い大村益次郎も滞在しました。

昭和に入ると江の川の水を生かしパルプ工場や製糸工場が進出したことで、特産の石州瓦とともに「山陰有数の工都」と呼ばれました。

大正6年、郷川鉄橋開通を記念しての渡り初め(現在の渡津町から撮影)
大正6(1917)年、郷川鉄橋開通を記念しての渡り初め(現在の渡津町から撮影)

江津市の沿革

江津市誕生前史

昭和9年…那賀郡松山村と下松山村が合併し松川村が発足

昭和15年…那賀郡江津町と都濃村、渡津村が合併し、江津町が発足

昭和26年…那賀郡都治村と黒松村、邇摩郡波積村が合併し江東村が発足

江津市誕生(昭和29年~38年)

昭和29年4月1日…那賀郡江津町、都野津町、川波村、跡市村、松川村、川平村、江東村、二宮村、浅利村が合併し、江津市が誕生(面積144.37平方キロ、人口36,114人)

※県では当初、江津地域は東部4町村(江津町、浅利村、松川村、川平村)と西部5町村(都野津町、二宮村、跡市村、川波村、有福村)の合併を推進していましたが、昭和28年になると江津町を中心とする「江津市制構想」の気運が急激に高まり、紆余曲折の末に昭和29年2月21日、9町村による「江津市制」が正式に決定しました。

江津市誕生後間もないころの市議会の様子

昭和29年5月1日…初代市長に旧江津町長の飯田豊氏が就任

昭和29年10月1日…邑智郡桜江村から清見・井沢地区を編入

昭和31年8月1日…那賀郡国府町から本明・上有福地区を編入(面積158.20平方キロ、人口36,229人)

本明・上有福地区編入祝賀式典の様子

昭和33年4月…千代延定良氏が市長に就任

昭和37年3月…新市庁舎と市民会館が完成

完成当時の江津市庁舎

昭和37年6月…千代延市長が急逝

昭和37年7月…藤田龍夫氏が市長に就任

水害を乗り越えて、進む都市基盤(昭和39年~58年)

昭和41年4月…江川が一級河川に指定、正式名称が「江の川」に

昭和42年7月…岡田信正氏が市長に就任

昭和44年5月…名誉市民に飯田豊氏と室崎勝造氏

昭和47年7月…集中豪雨、被害総額32億円超

昭和48年11月…江津市民憲章、市の木(黒松)、市の花(つつじ)を制定

昭和49年4月…江津市図書館開館

昭和49年7月…佐々木隆夫氏が市長に就任

昭和50年8月…国鉄三江線が全線開通(三次・江津間)

昭和55年4月…江津市民球場が完成

昭和55年12月…名誉市民に中村英男氏

昭和56年12月…江津市民体育館完成

昭和57年7月…福原友宏氏が市長に就任

昭和57年9月・10月…第37回国民体育大会の会場に(夏季・水球、秋季・ハンドボールと軟式野球)。水球で江津工業高校と江津高校から選抜された島根県チームが優勝

くにびき国体水球少年で優勝した島根県

昭和58年7月…島根県西部で豪雨災害、死者1人、被害総額84億円超

工業都市からの転換(昭和59年~平成15年)

昭和59年8月…第1回江の川祭開催

昭和60年10月…石央地域地場産業振興センター完成

平成2年7月…牛尾一弘氏が市長に就任

平成5年3月…国道9号バイパス開通、新江川橋開通

江津バイパス開通の写真

平成5年4月…島根職業能力開発短期大学校が開校

平成7年4月…江津市総合市民センター完成

平成10年7月…田中増次氏が市長に就任

平成12年4月…しまね海洋館「アクアス」オープン

平成14年3月…桜江町との合併推進協議会を設置

※平成の大合併で島根県から示されたパターンは2つ。1つは浜田市・那賀郡との2市4町村、もう1つは桜江町との1市1町でした。江津市と桜江町は江の川のつながりを重視。1市1町での合併を選択しました。

平成15年9月…山陰自動車江津道路が開通、全国の高速道路網につながる

平成の合併、新生江津市に(平成16年~)

平成16年10月1日…邑智郡桜江町を編入し新生江津市に。新市章と新市民憲章を制定

新生江津市が発足

平成16年12月…パラリンピック・アテネ大会水泳競技の銀メダリスト・花田裕治氏(後地町)に市民栄誉賞を授与

平成18年6月…済生会江津総合病院がシビックセンターゾーン(江津町)に移転新築

平成22年4月…道の駅「サンピコごうつ」オープン

平成25年8月…豪雨災害。観測史上最大の雨量を記録し、市内で被害多数

平成25年10月…過疎地域自立活性化優良事例表彰(総務省など主催)で江津市が総務大臣賞を受賞

平成26年7月…山下修氏が市長に就任

平成28年8月…江津駅前に「江津ひと・まちプラザ パレットごうつ」オープン

令和3年5月…新庁舎移転

桜江町の沿革(昭和29年~平成16年)

桜江町は、邑智郡の北西に位置した町です。町の東西を江の川が流れ、古くは養蚕や和紙が盛んでした。現在では桑畑は桑茶の生産につながり、和紙も長谷地区で勝地半紙として伝統を受け継いでいます。
江の川を通じてつながりの深かった江津市と平成16年に合併し、60年の歴史に幕を下ろしました。

昭和29年4月1日…邑智郡長谷村、市山村、川戸村、谷住郷村、川越村が合併し桜江村が誕生

昭和29年5月…今田實氏が初代村長に就任

昭和30年9月…松本寿喜氏が村長に就任

昭和31年1月…町制を施行し桜江町に

昭和35年3月…桜江大橋完成

昭和38年9月…笹尾末幸氏が町長に就任

昭和42年9月…湯浅芳一氏が町長に就任

昭和47年7月…豪雨災害、川戸地区などが水没し被害総額68億円超

昭和52年8月…新桜江大橋完成

昭和54年2月…大元神楽が国指定重要無形民俗文化財に

昭和56年3月…B&G桜江海洋センター開所

昭和56年4月…町民センターと町役場の機能を併せ持つ桜江町総合センターが完成

桜江総合センター完成

昭和58年7月…豪雨災害、死者1人・行方不明3人、被害総額152億円超

昭和58年10月…あかぎ国体の軟式野球少年の部で桜江クラブが優勝

昭和62年9月…川崎泰孝氏が町長に就任

昭和62年11月…桜江大橋が日本で初めて三色に塗り替えられる

昭和63年11月…桜江いきいき祭り始まる

平成3年9月…佐々木節也氏が町長に就任

平成6年3月…湯浅芳一氏が名誉市民に

平成7年11月…今井美術館一般公開開始

平成9年4月…森林総合公園「風の国」、水ふれあい公園「水の国」オープン

平成16年10月1日…江津市と合併