ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

敬川まちづくり協議会の概要

掲載日:2017年7月19日更新
<外部リンク>
敬川まちづくり協議会  地域づくり計画
1.地域の現況と課題
 ⑴ 人口・世帯の状況(平成29年2月末日現在 外国人除く)
人口   1,388人
男     654人
女     734人
世帯数   670世帯
65歳以上  554人
高齢化率  39.91%
⑵ 地域の特色(歴史・文化・伝統行事など)
 敬川町は、東に二宮町神主、西は大崎鼻を境にして波子町に接し、北は日本海、南は二宮町神主・浜田市下有福町を境界とする。
 西南の山並みを背に日本海に向かい平地が広がり、その中央を南から敬川が日本海に流れている。
 大昔は海岸が佐名目から友根、浜口を回り妙見山麓、八幡山辺りに入り込み、東側に無林島、西側に前横島のある入り江であったとされ、長い年月の間に、敬川を伝って跡市、有福温泉から土砂が運ばれ、日本海からの砂礫の堆積により現在の地形が形成されたといわれている。
 その後江戸時代中期から大正時代にかけて砂丘地の開拓や護岸工事が行われ、明治22年の合併や昭和29年江津市発足により、現在の敬川町となった。
 歴史上の人物としては、鎖国中の江戸時代に海外に目を向けた「橋本三兵衛」、ふるさとを救おうとした「お鶴さん」、子弟を集め敬川村塾を創始し、専心その教育に当たった「河野令眼」、三偉人の伝承がある。
 烈女お鶴を伝承する「江津敬川太鼓」や「盆踊り保存会」などの団体により、郷土芸能の振興と保存・継承活動を展開している。
 他にも、昭和50年市の文化財に指定された「上敬川のチシャノキ」をはじめ、「まぐわ淵」という河童伝説や「友根の面岩」、「火塚」の伝説も存在する。
⑶ 地域の資源や魅力
 敬川町は江津市の西部に位置し、町の中央にJR山陰本線と国道9号、海岸部を産業道路が走っている。
 また、有料自動車道「江津西IC」が整備されており、江津市西部の交通の要となっている。
 敬川地域コミュニティ交流センターを中心に半径1.5km内には、小学校や保育所の教育施設、介護施設、医療施設もあり、江津市西部の生活拠点として機能している。
 中山間地特有の自然景観として、白砂青松の日本海岸に「浜ぼうふ」が群生している北面、妙見山麓・八幡山がどっしりと腰を下ろし、山頂には自然エネルギーを活用した風力発電施設が設置されている南面、町の中心を流れる「敬川」には鯉が優雅に泳ぎ、その沿線堤防には1,000本の桜が咲き乱れ、田んぼには白鷺が餌を啄ばんでいる姿など、四季折々の景観を望むことができる。
 昭和37年、地元有志を中心に全町民の協力により、現在のコミュニティ交流センター(旧公民館)が建設され、以来、社会教育や生涯学習活動など地域のシンボルとして記念行事や文化・体育・サークル活動に利用されている。
 今後も地元団体とより一層協力を深め、相互扶助のもとにコミュニティ活動が活発に行われることを期待する。
⑷ 地域に発生する問題や困りごと
 ≪防災に関すること≫
 集中豪雨や山崩れ、地震等、災害が発生した時に安全かつ迅速に避難や情報収集ができるよう、自主的な防災活動と防災意識の向上が急務となっている。
 ≪高齢者に関すること≫
 独居高齢者世帯が多く(約100人)、安否確認や買い物、通院など、日常生活において様々な課題・懸案事項が山積している。
 ≪景観に関すること≫
 敬川から日本海に接する河口部は土砂が堆積して流水を妨げており、不衛生で美観を損ねている。
 日本海沿岸にある「浜ぼうふ」が絶滅しつつある中、浜砂の飛散などにより景観が損なわれる恐れがある。
 空き家や耕作放棄地が増加している。
 ≪人材不足・継続した地域運営≫
 これまで環境整備を行ってきた方々が、高齢化により対応できなくなってきている。一方、今後増加すると見込まれる60~70代の定年退職後の方々に対して、社会貢献を促す取り組みや社会貢献活動を提供していくことが望まれる。
⑸ 地域の将来像(基本理念・キャッチフレーズ)とその考え方
【 基本理念 】
 自らが考え 行動し 自立できる まちづくり
 敬川まちづくり協議会は、地域の中心的組織であり、町民の合意形成のもと、活動をしなければならない。
 また、自らが生活する地域をより良い地域にするためには、住民が進んで地域づくりに参画し、日常生活に係わる様々な課題を話し合い、自らの行動により課題を克服し、行政に頼らない『自立した住みよいまちづくり』をめざすものである。

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)