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谷住郷まちづくり協議会の概要

掲載日:2017年7月19日更新
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桜江町谷住郷の風景

谷住郷地区まちづくり協議会地域づくり計画

地域の将来像(基本理念・キャッチフレーズ)とその考え方

キャッチフレーズ

健康で安心して暮らせ、かつ活力のある住みよい地域づくり

地域の現況と課題

人口・世帯の状況(平成28年6月末現在)

  • 人口 471人
  • 男 225人
  • 女 246人
  • 世帯数 201世帯
  • 65歳以上 42.6%

地域の特色(歴史・文化・伝統行事など)

谷住郷の歴史と文化と伝統行事

谷住郷地区は江戸時代 住郷村 谷村 入野村があり大森銀山領すなわち天領でありました。
江の川の管轄権は石見銀山領がもち銀の抜け荷の流出を防ぐために口番所を設けていました。住郷口番所は船津に設けられていました。

主な沿革
  • 明治22年~市町村制が実施され谷住郷村に統一された。
  • 昭和29年4月1日~市町村合併促進法により桜江村となる。
  • 昭和31年1月1日~町制施行により桜江町になる。
  • 平成16年10月1日~江津市に合併、現在に至る。
自然災害の記録
  • 明治5年2月6日~浜田大地震発生
  • 明治6年、26年大洪水 大正年代は不明
  • 昭和18年9月、19年、20年、26年、29年、33年と水害
  • 昭和38年~豪雪 この頃から出稼ぎに行く人が増えた。
  • 昭和40年~大水害 桜江大橋流失
  • 昭和47年~大水害 谷住郷の家屋水没多数 被害甚大
  • 昭和58年~大水害
  • 平成18年6月~小谷川河川トンネル竣工
小学校の沿革
  • 明治6年4月~谷住郷小学校が開校、 同時に入野分教場、谷分教場もできた。
  • 明治30年10月~現在地に校舎新築
  • 明治、大正の頃、尋常小学校。昭和20年までは国民学校であった。
  • 昭和22年4月1日~新制度による谷住郷小学校が開校
  • 昭和38年5月28日~鉄筋3階建新校舎竣工
  • 昭和42年3月~鉄骨体育館竣工
  • 昭和45年6月30日~入野分校廃校 本校に統合
  • 平成13年4月~桜江小学校に統合

地域の資源や魅力

地域の特色

谷住郷地区は桜江町の北に位置し、南は江の川が西流しその右岸を国道261号が走っています。
小谷川に沿う県道桜江大田線が川本町三原に通じ大邑農道にも通じています。

集落は、大口、下の原、市、船津、妙見谷、天神郷、谷、入野押手、長戸路の9集落があり、消滅寸前の限界集落も存在します。
人家・農地は小谷川、江の川、養路谷川の周辺に点在し大半は山林が占めています。
農業~稲作の水田は小谷川沿い、開田された下の原・大口地区が主です。江の川の川霧にはぐくまれて育つ住江茶や、肥沃の土地を利用して長いも・牛蒡の生産も行われています。
地域の高い山~高丸(526m)平野山(459m)があります。

地域に発生する問題や困りごと

他地区と同様に、少子・高齢化、人口流出により、さまざまな問題が発生しています。
具体的には、一人暮らしの高齢者や高齢者夫婦のみの世帯も増え、清掃や自治会行事への参加活動もできない集落もあります。
地域の活性化が失われ、伝統行事や交流活動も維持ができない一因でもあります。

今後は、病気や事故、さらには近年の大雨による災害発生への対応など、近所の助け合いがますます重要になってきます。
若い人は地域とのつながりが薄い傾向にあるが、現在の社会的構造上やむを得ない面もあります。
高齢者と若者が素直に話し合う場を設ける必要性を感じています。

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