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誰もが安心して住み続けられる町づくり
そのために、次のことを重点的に行います。
地域づくりは人づくり、津宮小学校の子供たちの心育てを地域で取り組む。同時に、子育て世代の親たちにもアプローチしていく。
グリーンカード精神とは、人の良いところを探して、褒める(Praise)・感動する(Impressed)・感謝する(Thank)
町民みんなが、PITを考えれば、きっとこの町は住みよい町になる。
生涯学習の場としての貸館業務という受け身の立場でなく、町民の安心して住み続けられる町づくりを積極的に推進していく。
年間の予算と計画をまとめる組織として、計画(Plan)・実行(Do)・評価(Check)・改善(Act)を常に意識して取り組むことが大切。
「あぷりこ」とは、昭和初期、都野津町の各家庭の庭に(杏)の木が植えられ、当初、都野津町はあんずの里と言われていたことに由来します。
杏は英語でアプリコットと言い、都野津地域コミュニティ交流センターの愛称を「あぷりこ」とします。
(平成28年度納涼祭で愛称を「あぷりこ」としました)
都野津町は、江津市の西部に位置し、北は美しい日本海の海岸線と南に白砂の「はんだが浜」、西には桜並木の水尻川、東は漁業に生計を立てた先人たちが沖を眺めた「遠見が丘」に挟まれた落ち着いた街並みを有します。
現在の都野津町は、大昔海の底だったが、海岸がだんだん沖に行き砂浜が形成され人が住むようになりました。
砂浜だから田で稲が作れず、畑作が中心でした。
また、砂浜海岸であるがゆえに、地引網漁が産業の大きな一つでした。
近代になって、豊富な陶土(都野津層)を使って窯業の瓦産業が発達してきました。
10数社の窯(登り窯)があり、西日本でも有数の瓦産業地となりました。
しかし、近年瓦の販売が減少し、窯業が衰退し現在では2社ほどになっています。
さらに、生活手段として行商があり、その中でも反物行商、魚行商が盛んに行われました。
魚行商は、浜田市の旭町都川から桜江町市山あたりまで、反物行商は、もっと広範囲で中国山地の大朝方面まで行っていたようです。この行商によって、秋には物々交換で都野津には無い米を手に入れていました。
このように、外に出ていくことが多い都野津町には、土着の文化や特別な伝統行事が少ないです。
秋祭りやとんど焼きといった伝統行事、町民運動会・文化祭・敬老会といった行事は地区民挙げて継承しています。
地域文化遺産として、先代の佐々木凖三郎氏が残した「都野津会館」をはじめ数多くの建物遺産が存在しています。
また、家並みも瓦産業の発祥地として、当時の面影が各所に遺構されています。
平成27年度の「町づくりの会」で出てきた意見を次のとおりまとめます。
海があり山があり、空気がきれいと自然が豊か。
気候も温暖で、自然災害が比較的少ない。
病院・学校が近くにある。
銀行が多く、キヌヤ・コンビニ・ジュンテンドー等の買い物施設も近い。
都野津会館・佐々木凖三郎氏の業績が残っている。
新四国88ケ所めぐりがある。
古い家並みが貴重、石州瓦は地域遺産。
平成27年度の「町づくりの会」で出てきた意見を次のとおりまとめます。
近所づきあいができなくなっている。
地域行事への非協力性。
陰口が多い。
公的な発言ができない。
他人の足を引っ張る。
商店が激減した。
町に子どもの声がせず活気が感じられない。
町の案内板がない。
街路灯が不足して、町が暗い。
旧町の路地幅が狭い。
街並みが生かされていない。